悪魔の呪いがとけた日




10歳、寒い冬の日だった。おばあちゃんのお葬式が終わりお墓に向かう途中、雪の上でお母さんが突然倒れた。病院に運ばれて意識を一度は取り戻したらしいけど、数時間後、心臓が完全に止まってしまって、そのまま死んだ。
何年かして、私はお父さんに聞いた。
「なんでお母さんは死んだのさ」
お父さんは答えた。
「太っていたっていうのもあるし、疲れもあって過労死してしまったんだべえなあ」
それに対して何か答えたかは忘れてしまった。たとえ答えていたとしても、「ふうん」だとか「そうなんだ」とか、せいぜいこの程度の相槌だと思う。そんなことは大して重要ではない。

重要度でいったら、こっちのほうが断然だ。
お母さんが死んだ日、私は悪魔に呪いをかけられた。というよりは、かけられていることに気づいてしまった。
病院で、大して懐いてもいないおじいちゃんの胸に抱かれながら、「ああ、やっぱり私は呪われているのだなあ」と呆然としながら思っていた。おじいちゃんは何か言いながら私の頭を撫でていたけれど、何を言っていたかは覚えていない。ただ、首が痛かったことだけは鮮明に思い出すことができる。あんな風に孫を抱えて頭を撫でるなんて、まったく慣れていなかったんだな、おじいちゃんは。私の首は、えげつない角度に曲がっていたと思う。

首が痛いなあと思いながら、私は悪魔のことを考えていた。悲しいという感情はもちろんあったけれど、その感情を抱きながらも、同時に、悪魔がいつ私に呪いをかけたのかを考えていた。
なぜ呪いをかけられているかと思ったかというと、それはお姉ちゃんが普通じゃないからだ。これに気づいたのは小学校に上がった頃だった。クラスメイトと「お姉ちゃんいるの?」とか、そういった会話になることがあって、私が「いるよ」と答えると、「何年生?会ったことないな」とか「知らなかった。帰りが同じ方向だから今度一緒に帰ってみたい」とか返事がくる。
私が「お姉ちゃんは養護学校に行っているよ」と言うと「何それ」とか「わからない」とか返ってくる。上級生の人たちを見ると、お姉ちゃんより年下のはずなのに、すごくしっかりして見えた。お姉ちゃんは最重度知的障害だから、それもそのはずだった。

お姉ちゃんは私よりも6つ上のはずなのに、話す言葉は6歳の私よりも少なくて、それでいて時々何を喋っているかわからなくて、2歳児のように癇癪を起こしては暴力をふるってくることがあった。
お姉ちゃんは小柄だから、私が10歳になる頃には暴力はおさまっていたけれど、それまではすぐに私を叩いたり踏みつけたりしていた。物心ついた頃からそういう暴力を受けていたから、私は生まれたときから呪われていたのかもわからない。

ただ、私が生まれる前にお姉ちゃんは生まれているわけだから、もしかしたら呪われているのは私じゃなくて、私の家族、というか、家、なのかもしれないな、などと考えていた。
私にとってお姉ちゃんは家族というよりは、なんだか奇妙な生き物というか、化け物といったら行き過ぎかもしれないけれど、よくわからない存在だった。それはお姉ちゃんが、養護学校の寄宿舎で平日を過ごしていたからかもしれない。週末や祝日しか家にいないから、どうも家族という感覚は薄かった。見た目もやっぱり、他のクラスメイトとか上級生とかと比べると違った。

お母さんが亡くなってからしばらくして、私は監視カメラで覗かれているような気がしてならなかった。それは、実はお母さんが死んでしまったのが実はドッキリであってほしいという願望がそういう気にさせていたのかもしれない。
隠しカメラで私の動きを観察されていて、頃合いを見て「実はお母さんは死んでいなかったよ」と出てくるのではないか、などと、考えることがしばしばあった。これは高校生になるまで続いていた。

お父さんは、最初のほうは家事や炊事を頑張ってくれていたけれど、自営業で従業員の面倒もみながら子供の世話をするのが難しかったらしく、だんだん家に帰ってくるのが遅くなった。次第に土日も働くようになって、家にはお酒を飲んで寝るために帰ってきている感じになっていった。

週末や祝日は私がつきっきりでお姉ちゃんの面倒をみなくてはいけなかった。それが嫌で嫌でたまらなかった。ごはんはもちろん、トイレもお風呂も世話しなくてはいけない。どうして私がやらなくてはいけないのかわからなかった。私が望んで産んだ子でもなければ、「かわいい」とか「ありがとう」とか、そういった感情を一切持ったことのない相手だ。お金やご褒美がもらえるわけでもない。気にくわないことがあると泣き始める。
そんなお姉ちゃんに、私は一度だけ手をあげてしまったことがある。思いっきり平手で頭を叩いた。痛かった。お姉ちゃんは泣いた。私は謝った。それから布団で横になって思いっきり泣いた。

それ以降、私はお姉ちゃんに話しかけることをやめた。何もかも、無言で世話をやるようになった。自分という人間が愚かで冷酷で浅ましいもののように思えて仕方なかった。一方で、お姉ちゃんより全然テレビに出ても平気なレベルの障害者の人が、24時間テレビで頑張っているのを見て応援したり泣いたりもした。ユニセフに募金したり、遠くの誰かの幸せを願ったりもした。自分の矛盾が気持ち悪くて仕方なかった。

23歳になった。この頃の私は自己啓発本を読むのにハマッていて、そして、頭が弱かったのかなんなのか、それらの内容をなんでもかんでも鵜呑みにしていた。
どの本に書いていたかはわからないけど、「田舎にいちゃダメ」といった内容のものを読んだのをきっかけに、私は東京に出た。お父さんは止めたけど「3年で戻るから」と嘘をついて出てきた。どうせ田舎にいても1つの仕事を長く続けられないし、続けていたとしてもフリーターとなんら変わらないような正社員の求人ばかりだし、それに、お姉ちゃんと物理的に距離をおいたほうが、なんとなく身のためのような気がした。
いや、ただ東京に夢を見ていただけの気もする。無鉄砲に飛び出てきたから、その頃のことはあまりよく覚えていない。とにかく田舎から東京に出てきた。それが事実で真実である。

東京に出たところで、やっぱり仕事は続かず、24歳で夫と出会って26歳で結婚した。お姉ちゃんのことは結構最初のほうに話したけれど、夫は「そんなことは別に大した問題ではない」と言ってくれた。

その頃のお姉ちゃんの面倒は、ほとんど施設に任せっきりになっていて、お盆とお正月さえ、家に帰ってきてないこともあったようだった。それについて、私は何を思うでもなかった。お父さんの仕事が忙しいなら仕方ないんじゃない、ぐらいの感覚だった。

29歳の6月、お父さんが大腸ガンで入院した。ステージⅣで余命は1年未満だった。
お父さんは、健康診断なんか一切受けない人だった。そんな暇はないと言って、仕事ばかりするような人だった。外科医の先生には「こんなにひどくなるまで放置する人なんて滅多にいない」的なことを言われた。

10ヶ月ほど、遠距離介護というかお見舞いをしたけれど、それをしながらお姉ちゃんの施設移転の話も進めていて、後半は私のメンタルがダメになってしまった。なぜお姉ちゃんは施設を移転しなくてはいけないのかってのは、それはお姉ちゃんが筋ジストロフィーであることがわかったからだ。今いる施設ではもう面倒を看ることができないから、専門の施設に行ってほしいということを言われて、その手続きの話とかを聞いたりなんだりしていた。この頃はもう何も考えたくなくて、土を踏んだりカラスを見たりしているのが楽しかった。川をただ眺めたり、野良猫を追いかけたりするのが楽しかった。それ以外はあまり何もしたくなかった。

お父さんの世話を、会社の従業員の方にたくさん頼った。お父さんもまた、私を頼りたくないようで、私からの着信をとらなかったり、「もう来なくていい」と言ったりしていた。私は親の面倒すらまともに見れない不出来な娘だなあという思いと、だけどお父さんは私のこと面倒みてくれなかったじゃんといった思いが交錯した。この歳になってくると、自分の人間性が愚かでも、それが人間なんだから仕方ないと開き直るようになってしまう。ただ、やっぱり悲しい。苦しいし悲しい。悲しい。

30歳の4月、葬儀の喪主をした。といってもこれもかなり従業員の方に頼りながらだった。私はそのとき妊娠3ヶ月だった。結婚4年目で授かった小さな命をお腹に抱えながら、その前方にお父さんの遺骨も抱いて火葬場を出た。

葬儀を終えて四十九日をまだ迎えていない頃、私は自分の遺伝子が本当に大丈夫か気になって、産婦人科で遺伝子検査をしてもらった。というのも、筋ジストロフィーは遺伝の病気で、他のはどうか知らないけれど、お姉ちゃんの患っている筋強直性ジストロフィーは、お母さんがその因子を持っていたとするならば、1/2の確率で私にも遺伝しているからだ。もし私がその因子を持っていたら、子供を不幸にしてしまうと思って産みたくなかった。これが正直なところだった。

「不安だ不安だ」と遺伝子検査の先生に話していたら「お母さんも筋ジストロフィーだったのかもしれませんね」と言われた。お母さんの妹にあたる叔母さんも筋ジスだ。だけど、お母さんも筋ジスだった可能性があるということは、考えたことがなかったから驚いた。

私はこの日、自分にかかっていた呪いがとけたような気がした。というよりかは、自分で自分にかけていた「お前は悪魔に呪われている」という呪いがとけた感覚。血流が一気にサラサラと流れていく感じがした。ドロリドロリとした粘っこい血液が一気に清流みたい流れるようになったというか。
お母さんの死とお姉ちゃんの障害、点と点が線で繋がった気がした。
だって筋ジスって、知的障害を併発(?)しやすいらしい。
お母さんが筋ジスだったから、知的障害のお姉ちゃんが産まれた。お母さんの突然死も、筋ジスの症状がジワジワではなく一気に心臓にきてしまった、ということなのかもしれないと言われた。
筋ジスのお母さんと自営業のお父さんとの間に産まれたのが、知的障害&筋ジスのお姉ちゃん。それと私。これまで私が不幸だな、つらいな、なんで私ばかり、と思っていたことが、このときから「ああ、仕方なかったんだな」と思えるようになった。

検査の結果、私の遺伝子は正常だった。筋ジストロフィーではなかった。
でも時々不安になる。指が動かしづらくなることがあると、自分は筋ジストロフィーなんじゃないかとか。ただの冷えで関節が動かなくなっただけだってのに、それでも敏感になってしまう。不安症で心配性で、考えすぎの性格だから、どうしようもない。変えよう変えようと思って自己啓発本を何冊読んでも変わることができなかったから、これに関してはもう諦める。

産まれた娘は、1歳2ヶ月。毎日元気に歩いて遊んで泣いて笑って喃語をしゃべりまくっている。「どうぞ」とか「はい」とか、少しずつ言葉が出てきている。

私はーーいまある幸せを大事にしたい。
時々心が弱ってしまうこともあるけれど、たくさんのことに感謝をしながらなるべく笑顔で暮らしていきたい。自分で自分を呪うようなことはもうしたくない。家族を壊したくない。娘に幸せに生きてほしい。

こんな言い方をしたらなんだけど、私は両親がすでに亡くなっていて、ちょっと気が楽になっている。亡くなったときは悲しかったり、いろんな感情でドロドロしたりしていたけれど、月日が解決してくれたというか。

お姉ちゃんはもうすぐ専門の施設に移る。

おしまい。最後眠くなってきて端折ってしまいました。ははははは。

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